僕のご先祖さん(父方)は木更津の出身です。明治の半ばに千葉市が県都になるというので出てきたようです。その時の気持ちってどうだったんだろうかってときどき思うのですよ。何年も、もしかしたら何百年も同じところに住み着いていたのでしょう。それがある日、意を決して千葉村に移り住んできたわけです。当時は寒川という千葉から蘇我に掛けてが少しばかりの賑わいがあった町のようで、僕のご先祖さんもその寒川に住んでいた記録がみつかりました。木更津からは40キロ以上も離れています。漁村です。
徳川家康が江戸幕府を開くのもやっぱり静岡の三河から出てきたわけです。それもかなりな勇気が要ったかもしれませんね。それとも新天地で心機一転国をまとめたいと思ったのでしょうか。或は誰かが云ってたように【地元】は「やりづらい」って気持ちもあったかもしれません。それはともかく、江戸時代というのは、鎖国ではありながら立派な文化を作りました。また、歴代の将軍が有能だったのか、あるいは側近が素晴らしかったのか、江戸。すなわち東京の23区でいえば、立派な治水工事灌漑政策があったおかげで、他県のような天災が少ないように思われます。都市機能が整備されているんですよね。これってすごいことです。
今日はそんなことをぼんやり考えていました。自分の代ではなんにも変化はなかった。70年続いた商売を僕が閉じたことは大きなことですが、新たに何かしたのではなく、お仕舞にしたのです。閉じるにも勇気な決断がありましたが、それは間違いではなかったように思います。
そしてこれからの子どもたちはどういう未来を背負っていきて行くのだろうか。そんな気持ちが去来していた一日でした。