常識の間違い 

自分ほどひねくれた人間も珍しいかも。最近そう思います。とかく【当たり前】というものを疑って掛かるのです。そして真実を見つけたときの快感に浸るんですな。これが大好き。また、新しいモノ好きなのも革新とかリベラルの典型かもしれません。人間も歴史も進化してるんだから、本来革新こそ当たり前なはず。なんて言ってるから、偏屈とか変人になっちゃう(笑)。 

最近発見した、間違った当たり前は文字の認識。私達は小さい頃から「太くて大きな文字でよく見えるように書きなさい」と教わりませんでしたか?実はこれ間違い。太い文字で書くと、なんて書いてあるか遠くから見て分かりづらいのです。大きな文字であっても、比例以上に太い文字は逆に見えにくい。現に今書いてるこの文字だって、とっても細いでしょ?だからいいのです。

今日は毎年開催してる「かごまきの会」でした。かごまきとはアサリを採るときの漁師さんの漁具であることは以前このブログにも書きましたよね。アサリやハマグリを扱う仕事をしていたので、その仕事仲間が集まって同窓会を開いてるのですが、その中にアメリカで結婚して暮らしてる50歳代の女の子がいます。彼女が日本に里帰りしてるときにかごまき会を開きます。

そこで、話が宗教絡みになり、プロテスタントとカソリックの話に及びました。そこで目が点になる話を聞いたのです。彼女いわく。アメリカにはプロテスタントのカソリックの他にもう一つあると言うのです。そしてそれが何かというと、なんと、「クリスチャン」という言葉が出てきちゃった! 

「えっ?クリスチャンの中にプロテスタントとカソリックがあるんじゃないの?」

日本人の【常識】ならそう思いませんか?でも違うんですって。クリスチャンの方が2つより「ゆるい」ようなんです。驚きでした。宗教色も薄いということなんでしょう。あの人はクリスチャンと言ったら、プロテスタントでもカソリックでもない。そう覚えておいた方がいいです。 

さて今夜の曲はそういうわけで「愛の聖書」を掛けましょう。日本でもずいぶん流行りましたね。

愛の聖書 / クリス・モンテス
愛の聖書 -クリス・モンテス-
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