自分が残せるもの 

残せるではなく、【遺せる】と書くべきかも知れませんね。男子の平均寿命から言えばあと12年。来年の干支はクリアしても、12年後の同じ干支はお目にかかれないかもしれませんから。まさに今のうちの断捨離です。 

子ども達に親のものを捨てさせるのも忍びない。そう思って昔のアルバムから何から多くを捨ててる最中なのですが、整理しながら思うのですよ。俺って自分がこの世に生きた証はなんかあるのかな〜と。

例えば、宮沢賢治とか中原中也なんてえのは、生きてる時に自分が死んだ後、こんなに評価されるなんて考えてもみなかったでしょう。彼らはまったく知らないで死んだのです。画家のゴッホなんかも確か生前は認められていなかったはず。それでも作品は残った。ちゃんと足跡を残したのですよ、彼らはね。 

自分も本は2冊出しました。市と県の図書館に置かせてもらってます。でも、だあれも借りたりしないでしょうね。ただ、1冊目の本は自分の書いた詩のどれかが、高校入試か、中学入試に使われたようで、毎年少しばかり(2千円程度)の著作権料を頂いてます。その本の出版社が業界では信頼度が高く、それで参考書などでも使われてるようなんです。(明細にサピックスという文字をみたことも)

それはさておき、自分自身は残らなくてもいい。それどころか、こんな性格なんだと知られたくないです(笑)。でも作品だけは残ってほしい。それは切に願いますね。まあ、作品もなにも残らないでしょうが。 

もう本は出しません。でも、先日載せた短歌形式の詩「おもちゃのピアノ」と下に書いた回文の詩は、もしも残せるなら遺したかったなあ。と思いました。 

神の着衣(かみのつつみ)

より貧(まず)しき身形(なり)へ 神(かみ)の着衣(つつみ)もどこにとも 幸(しあわせ)のごみの地(ち)に 夕(ゆふ)されてあります マリア・テレサ 冬(ふゆ)に乳飲(ちの)み子(ご)の世話(せわ) 足(あし)もとに子(こ)ども看(み)つつの 見返(みかへ)りなき静(しず)まりよ

さて、今夜はこの曲。プレスリーで知ってる人も多いかと思いますが、原曲はこちら。1968年 トニー・ジョー・ホワイトのポーク・サラダ・アニーです。

Tony Joe White – Polk Salad Annie
Polk Salad Annie -Tony Joe White-
PAGE TOP