「道徳」という科目が昔あったな

僕が中学生の頃、道徳の時間というものがありました。確か週に1回程度のもので、試験問題で出されることもなかったので、余り真剣に「勉強する」ってもんでもなかったです。戦前はそれが「修身」と呼ばれたりしてましたね。人と人とのコミュニケーションがスムーズにゆくように、角が立たない表現を身につけるものだったかと思われます。「ホントのこと言って何が悪い」という人がいますが、時と場合によっては当たり前にいけませんよね。

道徳の教科書もきちんとありました。今でも印象に残ってるのは次の文章。お店の人がお客さんに「これおいくら?」と聞かれます。するとお店の人は「そこに書いてありませんか?◯◯円です」と答えたのです。これがいけないと。どこがマズイかわかるでしょうか。

答えは両方言ってることなんだそうです。つまり、「そこに書いてありませんか?」又は「◯◯円です」のどちらかだけならばOK。なるほどなあって思いましたよ。

道徳教育というのは、昔みたいに強制的に目上の人を敬えというのではありません。理にかなった言葉のやりとりのことなんです。近ごろこれがわからない人が多過ぎると思われるので、ちょっと書きました。斯く言う私の息子もそれがあります。実は息子は障害手帳をもっています。精神の方で。学校の勉強はよく出来てた方で、六大学の1つにも入れました。でもなんせ対人関係が不得手。他所で人に無礼なことを沢山言ってるのに、何も気づいてないのです。そういうわけで、仕事も障害者枠で入りました。初めからわかってもらえるので長続きしてます。

それでもやっぱり、これじゃあ苦労するだろうなという発言は多々あります。初めに言っておきますが、【悪気はない】で言っちゃうのです。「今日はお母さんがいないから、晩ごはんはお父さんと3人(娘も入れて)で食べに行こうか」と私が言うと、返事はこうです。「行かない。一人で行って」 

ハア〜とため息。ホントに悪気はない。初めの道徳の教科書と同じですね。「行かない」だけで済むのに余計なことを言うばっかりに、自分が損をする事になるのです。対人関係ってそういうものでしょう。 

自分も小さい頃からそういう面が多々ありました。大人になるって人の気持ちを先に考えるってことなのかも知れません。説教っぽかったかな今夜のコメントは(笑)。

先ほどこの曲がどこかで流れてました。以前ここに出してたらごめんなさい。アメリカというバンドのシスター・ゴールデン・ヘアーです。

America – Sister Golden Hair (Official Audio)
Sister Golden Hair -America-
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