へそ曲がり

私はかなりへそ曲がりです。絶えず【常識】というものを疑います。

前にも「これって違うんじゃね?」という事を書きましたね。太くて大きな文字は実は見えづらい、という例で。今回はそんな生易しいものではなく、多くの人の反感を呼びそうな内容なのです。それは・・・

【結果だけを見て判断してはいけないというのは間違いだ!】

これです。こんな事をいうのも勇気がいりますね。

実は、人間は見た目99%で判断してます。かくいう自分もそう。優しい言葉遣い、話してることもまっとう。又、逆におどおどしていたり、ひ弱そうに見えたりすると、(ああこういう人なんだな)と思い込みます。そこが危険!

明治時代、福沢諭吉が行く人事に態度を変えて話したら、相手もへりくだったり、高飛車に出たり様々に変化したという研究結果を出していました。また、私が今でも強く印象に残ってるのは、中学生のときのことです。

それはクラスの中で、学校の成績があまり良くなく、少し吃音も入っていた仲間の発言が、みんなから問題外に扱われていたことです。僕自身もそう。ところが先生が、少し気分を害したようにこう言ったのです。

「君たちはなんでT君の話を初めからきちんと聞かない。1番正当なことを話してるじゃないか」と。

僕は(多分みんなも)ハッとしたと思いますね。思い込みなんですよ、人の多くは。思い込みが間違った方へ行くと集団心理もあって間違った戦争へと向かうことすらあるのです。 

今日のテーマに戻ります。見た目より、その人が何をしたか、又はしてきたか、が大切ということ。【言ったか】という点は実に微妙で、それが本心ならばOK。嘘をついて言ってる場合もありますね。それは、結果を見れば分かります。良くも悪しくも降りかかって来ることでしょう。嘘ばかりで乗り切れる世の中でもありません。

なんでこんな事を書いたかと言えば、最近私の尊敬してる人が別の人人に貶(けな)されていたからです。彼は多くの労力を払ってボランティアでその会を運営していましたが、体調が悪くなって降りる事になりました。そこで次の人をみんなで決めてもらいたいという話になり紛糾したのです。確かに話し方は上手くはない人でしょう。ツンケンしたようにある人には聞こえるかも。でも僕はそんなことは気にしません。確かに苦労して人のためにこれまで無償でやってくれてたのだ。有り難いと思わなきゃ。それに対して、腹を立てるのはお門違いだ感じました。それどころか、私のほうが【世間】に対して腹立たしく感じましたねえ。

幸い、彼のあとをやってくれる人がいたのでほっとしてます。僕は市原の方があるので、彼の集まりには毎週は行けません。人間関係もなかなか大変なようです。こんなことがあったら、市原もすぐ閉鎖してしまいそう(笑)。

さて、今夜の曲はこちら。

98-57  キサス・キサス・キサス(Quizas quizas quizas)  トリオ・ロス・パンチョス
キサス・キサス・キサス -トリオ・ロス・パンチョス-
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