このブログは自分の日記でもないので、言ってはいけないことが多々あります。でも、本心も言えないような話なんて、自分も読者も全然おもしろくないでしょうね。自分が読者ならやっぱりそう思います。
今日お話しようとして躊躇してるのは、今朝のニュースにも載っていた山上徹也被告のこと。もう3年が経ちました。統一教会にのめり込み、家庭を、そして息子を殺人犯にしてしまった母という見方や、なんでその標的が安倍総理やねん!と激怒する人々。まさに何処が焦点か見えない複雑極まりない事件でありました。
そう言って自分の意見を言えない言わない人間の一人に時分はなりたくない訳です。
僕の知人に、〈山上支持者〉の高齢女性(73歳)がいます。彼女は安倍総理が殺されたとき、『山上君良くやった!』と褒めちぎりました。その言葉にビックリしましたが、いや、そういう声があっても不思議じゃないのだ世の中はって感じましたね。一方、安倍総理が撃たれたせいで、日本は世界の先進国から取り残されてしまったという意見も昨今多い。それも事実でしょう。安倍総理婦人昭恵さんの行動も賛否両論だし、まったくなにがなんだかわからないのが一般的国民の本音かもしれません。ということはマスコミも国民(一般的国民)も触れない方がいい、とまあそうなるわけです。
でも皆さん、それでは不完全燃焼ではないですか?議論を避ける。そこは日本人の美徳でもあり、欠陥でもありますけどね。
というわけで、彼の判決を自分なりにしてみたいと感じました。結論から言えば無罪か死刑かということになる訳ですが僕自身からすれば統一教会を破滅に追い込んだ立役者だと信じます。従って「無罪」! 彼自身被害者であり、歴史と社会の渦に翻弄されてそういう行動に走ってしまいました。彼には生きる権利があるのでは?となります。では、またそのような行動にでるのでは?という懸念もあるでしょう。そこはキッチリ保護しなくてはいけません。要保護観察無罪。
多分そうはならないと思います。無期懲役かな。そんなことならいっそ死刑にして『英雄』という称号を歴史に刻んだ方が彼にとっていい人生かと僕なんかは考えちゃいますねえ。
さてどうなりますやら。
本日の曲へ行きましょう。