食べてゆくのって大変

table(タベレ)。テーブルというのは食べるところだから食べれ、なんて覚えていました。

それはともかく、人間食べて行かなきゃなりません。さんざん親不孝をしてきた僕ですが、父の有難味は亡くなってからやっとわかりました。僕の父は終戦後、やみ市といって不正な売買をしてその日暮らしをしていたんです。違法でありながらそうしなければ飢え死にしてしまう。どこかの学者さんが闇米(やみまい)は食わぬと言って餓死した話も聞いたことがあります。売る方が違法なら買うのも違法。でも、日本中がそういう「生きるための」最終手段には目をつぶっていた感がありますね。

今日、短歌を出しました。その中にこんな歌を2首載せました。

・闇市でかまぼこ売っていた父がのちにいのちの電話を始めた

・六道の辻で出会った鬼でさえ土産を持たせ帰された父

母と父が結婚したのは昭和23年ごろのはず。だから終戦後3年経ってもまだ闇市ってあったことになりますかね。なぜなら母と父は闇市で捕まって一晩ブタ箱に入れられたって言ってたんですから。その父が地元のライオンズクラブに入って数十年後に会長となったんです。そこでやった仕事がライオンズクラブで寄付を募り、「いのちの電話」を開設することでした。その後大病を患ったにもかかわらず生還したのも、六道の辻(あの世)でお前は生きてるうちに良いことをした、土産をやるから下界へ戻れと鬼がい言ってくれたとか・・・。そんな歌を作ったのでした。

自分など、命がけで生きてきた父母の足元にも及ばないと思うこの頃。

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