去年の今頃

僕は毎日日記をつけているので、一年前の今日は何をしていたか、探せばすぐにわかります。すると、前日の25日に田口犬男君から詩集が届いていたのです。田口君と言えば、マチネさんのお友達であり、僕も知ってます。彼は、第一回あったんか(新しい短歌の会)にも先月ゲスト出演してくれました。

その彼の詩の一行がまるで短歌になってる。

・私たちはみな音楽なので神の五線譜の上で暮らすのだ

この一行がなんで短歌だかわからない人がほとんどであると思います。多くの人は短歌で説明をしてしまっていますね。意味は通じるけど、音楽ではない。詩って音楽に近いんです。もちろん音楽にもいろいろな音楽がある。ラテン系のリズムもあるしシャンソンもある。ポップスもジャズもクラシックも演歌だって。犬男君の音楽は現代詩。だからわからない人が多い。でもこの1行を読んだ時の浮遊感は彼の言葉でなければ表せません。

日記にはこう書かれてありました。<現代詩はそのもっとも尖ったところに位置する。その危うき感が不思議と心を癒すのだ。古い薬では新しい病気は治せないから>

1970年代半ば、拓郎が古い船を動かせるのは古い水夫ではないだろうという曲を書きました。そこなんです。たえず新しい感性が生まれてきている。それなのに、昔の価値観で評価されては堪ったもんではありません。古い歌が悪いのではない。しかし、新しいものを理解できない人が生まれたばかりの新しい感性を古い尺度で批判してはならない。それが言いたかった。新しい感性って実は病気のようなものなんですよ。素晴らしい病気!

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