雨の日に考える世界平和のこと

ウクライナ侵攻のニュースを見ているといたたまれない気持ちになります。ロシアの砲撃はますます加速しています。ハルキウの警備に小学生らしいウクライナの男の子が当たっている映像もありました。

妄想は無力です。でも妄想しかできない自分が歯がゆい。戦争とは呼べないこの一方的な侵略を解決する手立てはないものか。例えば、洋服を着たままでも透明人間になることが可能で、音も気配も出さずに近づくことのできる新技術が「正義」にのみ許されるとしたら・・・。そしてそのインディビジュアル(目に見えない・スナイパー)に真っ先に暗殺されるのはプーチンだ!と声を大にして言いたい。もちろんこれが空しい独り言に過ぎないのは百も承知です。それに正義の定義だって難しい。現にロシア人の70%以上がプーチン支持なわけでしょ?これって知らないから悪いのかという話にもなりますからね。

こんな雨の日はどこへ行っても考えてばかり。それもやはりこの侵略の行方です。

すべて結果論になってしまうのですが、「もしも」ロシアの侵攻が失敗し、現時点でウクライナに平和が訪れ、(プーチンは戦犯として処刑され、)プラハの春のような新しい時代が開けたら、これまでの犠牲者が報われるほどの素晴らしい解決策であったということになるのでしょう。あのロシアに対して一歩を引けを取らずに戦ったことが永遠に武勇伝として語り継がれます。これほど良いことはない。しかし、一方でこんな見方もできます。それは【遅かれ早かれウクライナには春は来る】という考えです。

今後何十年と続くであろう長期戦ののち、ロシアがウクライナを完全制圧して実効支配しようが、逆にウクライナが西洋諸国の援助を受けてロシアに勝利を収めようが、どっちにしろ「時代は変わる」ということです。プーチンは既にロシアの平均寿命を越えています。それまで待っていてはどうだったのかなということです。町が破壊され、多くの、いや多すぎる人が殺戮されるのならそっちの選択もあったのではないかと。

これは橋下徹さんの意見と同じことで、多くの批判を浴びることになります。たとえプーチンが死んでもそのあとプーチンを引き継ぐ共産党員が同じことを始めるとみる人もいますね。でも、それは時代が許さない。やっぱり共産主義はもう時代遅れでしょう。そして必ず「新しい人」が「正義」の座に就く。そう思いたい。「思いたい」では希望的観測ではないかと上げ足取りのお叱りを受けそうですが、絶対に国家も人間も変わります。これだけネットの情報が溢れる社会ですからね。北朝鮮も中国も必ず変わります。

今、戦争で血を流してそのその新しい時代を創り出すのではなく、時間を掛けて(たぶん半世紀という長期で)変化を創り出す方が「得策」なのではないかと思うのです。死んでしまっては元も子もないですからね。【死んでしまっては・・・】。これは現在収監されているアグネス・チョウさんと同じ考えです。彼女が新しい世界の指導者になってくれるといいなって思います。また、彼女よりもっと若い人、それは特に2000年以降に生まれたZ世代に僕は期待を掛けています。66歳の自分も含め、50代以上のジジババはダメだ。いや、40代だってもう古い。そう思っています。

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