毎日回文ができます。短いものからとても長いもの、またはチョットエッチなものや政治色の濃いものまで多岐にわたることも。
初めはこんな簡単な感じでした。
なにかしたい?確かにな
完璧な回文でしょ?
その次にスッと出て来たのがこちらです。
泣きたい気持ちも聞いたきな。
これも卒なく纏まってます。
そこで2つを合わせると、自由率の短歌になるのですよ。
なにかしたい?確かにな。泣きたい気持ちも聞きたきな
上の句と下の句が別々の回文です
ところが、ここで収まらない!更に発展して次のような長文の回文が出来上がってしまいました。こういう偶然て、しばしばあるのです。なにかに導かれるように【偶然の奇跡】が起きる。それが下の回文。
世の者、尊厳に入(はい)り、なぜ死?生きたい気持ちも聞いたき医師、是(ぜ)なり。医は人間そのものよ
上の回文は尊厳死を認めない立場に思えるでしょう。医は仁術なりという立ち場なら、患者に生きたいという気持ちをもっと聞いてあげなさいよという人道的立場のように聞こえます。
ところが僕はそうではない!のです。患者の苦しみを知っていればこそ、【安楽死】もその選択に入れてあげなさいという気持ちの方が強いわけです。
ということで、上の回分の解釈は両方の意味に取って頂ければ有り難いです。
さて今夜も洋楽から一つ引張り出しましょうね。ウッディ・アレンの映画、カイロの紫のバラで使われていたものです。チーク・トゥ・チーク