歴史書というのは、たいていときの権力者が編纂するものだから、自分に都合の悪いことは書かないものですね。今の時代はそんなことないけど、昔の本を読んでると実に【差別】あるなあと実感しました。それは今読んでる「東方見聞録」を読んでいてそう思ったのです。
この本の著者であるマルコ・ポーロはキリスト教であり、ローマカトリックの信者のようです。そのせいか、イスラム世界のことは野蛮人としかみていません。今の時代では完全にアウトだろうよ、これってのが平気であちこちに。また、同じキリスト教でもプロテスタントはめった切りです。プロテスタントはいろいろな派閥に別れ争いが絶えないと書かれています。それが事実であるにせよ、だから邪道だと結び付けるのは如何なものかと思います。また、イスラム世界に住むキリスト教徒たちが改宗か死かを選択させられた時に、「聖書に書いてある山と山をつなげることができたらお前たちの宗教を認めてやる」と難題を突き付けられる話があるのですが、その山と山をくっつける奇跡を誠実な靴職人の祈りが叶えてしまう!というのです。ありえへんて。
さて、わが日本に対しては、皆さんも知ってる【黄金の国ジパング】がありますね。「この島の君主はすべて黄金で覆われた非常に大きな宮殿を持っています」とありますが、これって普通に【金箔】のことだろうよ、と疑わざるを得ません。また、こんな話もありました。
「ジパング諸島に住む偶像崇拝教徒は、自分たちの仲間以外の人間を捕えてくると、その男が身代金を払えない場合には、友人や親戚を残らず招待して、『うちでいっしょに食事をしましょう』という。そして捕えた男を殺してみんなで寄り合って食べる・・・・もちろん料理してあるが。彼らときたら、いろいろな食べられる肉のなかで、人間の肉ほどうまいものはないと心得ている。後略」
すさまじい表現ですよねえ。日本人もやっぱり野蛮人に見られていたんです。
でも、考えてみてください。僕たちだってこんなことが書かれていたって知りませんでしたよね。だから僕らの先生も政府も単に【黄金の国ジパングと呼ばれていた】と良いところしか教えていなかったってことになるんです。歴史ってそんなものなんでしょう。納得。