些細なことなんだけど、よく覚えてることってありますよね。
名言とかじゃなくてもいいんです。誰かがあの時こう言ってたなあって。ただそれだけ。
昔僕は、JC(ジュニア・チャンバー)junior chanber 日本語では青年会議所というところにいて、2年ぐらいですぐにやめたんだけど、その在籍時にいくつかの催し物をやりました。一つはトットちゃんこと黒柳徹子さんを呼んでの講演。もう一つは今は亡き永六輔さんの講演です。小沢昭一さんも呼んだか。とにかくこれらの人の話は大変面白かった。あれは大成功でしたね。企画した僕らも大満足です。
ところでその中で、永六輔さんがとっても辛辣な話を平気でする。「なんであんなもん建てちゃったんでしょうね千葉市は」という。【あんなもん】とは千葉市ポートタワーなんです。確かになんの理由もないんですよ。船の安全航行を見守る灯台の役目を果たすわけでもなく、世界一高いってわけでもない。なんか理由があるのかっていえばそれが「全くない!」ただの箱ものなのです。多分。ノリだけで作っちゃう。ここに観光名所を作ろうって。
それより面白かったのは彼が話してた【淡谷のり子】さんの話でした。
永六輔さん、彼女がこう言っていたというのです。「私を抱いた男はみんな死んだ」と。これには腹抱えて笑っちゃいました。80歳代後半の頃でしょう。そこで彼女のことを調べてたら、やっぱり彼女自身もとっても面白い経歴の持ち主でした。「美空ひばりなんか大嫌い」と平気で口にする。要するに演歌なんか下らないっていうのですよ。国民栄誉賞筆頭の人間を。そういう彼女も東京音楽大学を、始めはピアノ科、のちに声楽家に転向し卒業したにもかかわらず、それでは食っていけない状況に陥り歌謡曲まがいの曲を世に広めました。(ブルースの女王といわれているけど本来はシャンソン)そこで母校の履歴から抹消されたりもしました(のちに復権)。
生前、テレビで同じ東北出身の宮沢賢治の話をしていたのも好感を持てましたねえ。92歳まで生きたので大往生だったと思いますよ。とにかく面白い人物でした。なにより彼女には自由がある。そしてめったなことではへこたれない生きる力もありました。
東北の豪商の家に生まれたにもかかわらず倒産した実家。でもどんなことがあってもめげないお父さんの血が影響しているのでしょうね。うちも商家出身。自分もそうなりたい。勝負勘は戻ってきています。負けても起き上がれます。
とはいえ、大勝負なんかもうできる歳ではないですけどね(笑)。
さて、今夜も曲を掛けましょう。
ザ・ネーム・ゲーム です。