一週間ほど前だったと思います。僕はまだ寝るには早い時間だったんだけど、眠たくて蒲団に入ってうつらうつらしていた時でした。うちのカミさんが僕の寝ている部屋に来て、「ねえ、ねえ、テレビで河童の話やってるよ。河童と切手の関係」と言うのです。僕は、「ああ、そ」とその時はそっけなく答えたんですが、あとでそれはもしや・・・大変なことだ!って思いました。とっても重要なことだったのです。
僕は大学時代民話愛好会というところに在籍していました。現在部は消滅しているんですけど、当時は「日本むかしばなし」というアニメ化された番組が土曜日のゴールデンタイムにあって、そりゃあけっこうな人気があったんです。民話ブームといってもいいですね。
その時の部活動と言ったら民俗学をやるか人形劇をやるかでした。表現活動としては人形劇と民話というのは相性がいいです。でも、研究としては民俗学や民話の採掘そのものでしょう。ところが僕は、民俗学をやりながら表現活動として「童話を書く」ということをこっそり独りでやっていました。大学の図書室にある地下三階の自習室で暗くなるまで童話を書きながら部室に戻ってみると誰もいないときはさみしかったなあ。
ある時、図書館でカッパの資料を集めていたら面白いものを発見しました。河童には全国各地いろいろな呼び名があるけれど、どうも「手を切る」話が多いので手っきりぼとよばれる地方なんかもあるぞって。さらに調べてゆくと、近畿民俗学の若尾五雄さんというお医者さんが「河童とは交のものなり」という説を何か月にも渡って論文発表していました。頻繁に出てくるのは、河童が人間の手を切るという話です。そこから、河童が交童であるというのです。河童が相撲を取る話も四つに組む=交差するという意味だし、水の中に人や馬を引っ張り込む悪さをするというのも、交わる。そして水そのものもミズ→マジわるとの因果関係を説いています。
そんな話を交えながら僕は少年たちによくある、河童の財宝探しを始めるお話を作ることにしました。そしてその長編小説は運よく460編以上の応募の中で2位の佳作をとることができ、翌年毎日中学生新聞に3ヶ月の連載ができました。
そこで、初めの話に戻るのですが、うちのカミさんは確かにこう言ったのです。「カッパの話をやってるよ」と。でもそこまでは驚きません。問題はそのあと。「切手」という言葉が出て来ていたというのです。これってもしかしたら僕の小説からもってきた話じゃない?って。
もちろん若尾五男さんの「手を切る」でカッパの特性を言い表していることは間違いありません。でも、それを切手と言ったのは僕が最初です。実は、主人公の少年が仲間に連絡をするときに切手を貼ろうとします。そこで、手を切る→切手→河童というこの一見無関係な語彙に重大な意味を発見する。というのがこの小説のミソでありました。
どこまでが正しいかわかりません。僕の小説を新聞で読んだ人がどこかにいてこの話をもってきたのか、それとも若尾氏の論文(ほとんど読む人はいないと思います)からか。でもなんか興奮して嬉しかった。