「ほんとになんてこと言うんでしょ。お父様お母さまが天国で悲しんでおりますよ」。そんな声が聞こえてきそう。事実、僕の名前の一部は、ある宗教の本拠地(地名)の一部から頂いたものであり、小さいころはそのお山に何度も登りました。登らされました。
宗教で救われたって人も多いでしょうし、宗教がらみで事業や活動に成功を収めたって人も数限りなくいます。でもそれを言ったら宗教が戦争を引き起こす元凶になり、宗教があったから本来は仲良しだった二人が離れ離れになってしまったって事も当然起こり得たのでしょう。だれもが自分の神様が一番だといって。
そもそも宗教っていうより、この世に原理ってものがあるのか。それすら疑います。人を殺すなかれといいながら宗教があるから殺す。宗教で免罪符を貰いたいというのもありますね。御免なさい。あなたのお肉を食べさせてもらいますアーメンといえば、生き物の命を殺してもよい。その都合のよさが宗教かもしれない。
宗教にかこつけてはなりません。人間も動物も共存して生きることがこれから未来のほんとのやさしさであると思います。僕は肉はあまり食べられないのですが、肉は動物性たんぱく源で人間の体に取り入れるべきだという人もいますね。ではそういう人は、もう寿命の尽きそうな牛や豚を食べてはいかが?とぼくなんか思っちゃう。どうせ要らなくなる体なら自分の肉だって食べてもらえばいいぐらい。まさに神様に召される。それでいいのでしょう。
もう宗教って要らないよね。なんで俺たちこんなことにこだわってケンカばかりしてたんだろ。そんな時代が来るといいな。