上の見出しを見て続きの言葉が言える人はなかなかのもんです。文学通といえるかも知れません。
そう、あの中原中也(なかはらちゅうや)です。続きはもちろん「吹き来る風がわたくしに言ふ」。
故郷山口県に帰ってきたときにできた歌ですね。なにをやっても駄目な気持ち。警官のお世話になってブタ箱に入れられたこともありました。医者の長男でありながら、早熟すぎたこの男は、人生の意義なんて元々ないとばかりにダダイストとなり、詩作に耽ったり自分の女(女優長谷川泰子)を寝取られたりと、波乱万丈でした。ダダイスト仲間とは誰かというと、私も彼が存命中にのめり込んでいた高橋新吉でした。(彼の直筆の書が我が家に飾ってあります)
ダダイストは、世の中の規則通りに生きることに反発を感じます。規則は守っても自己を犠牲にまではしたくない。そこに矛盾があります。だからこそ詩人。要するに自由を愛してる。だから文学へ向かう訳ですね。
話は逸れるけど、隔世遺伝という言葉があります。親から子へではなく、祖父から孫へという1跨ぎした遺伝。私はそれを強く感じていて、中也とか賢治とかの明治時代生まれの人間(祖父年代)には親近感があります。私世代に共通するものをとても強く感じてしまうのです。特に中也の考えてることは手に取るように理解できます。駄目な自分。なにもできなかったのに、こんな生活してる今の自分、俺なんか世の中の寄生虫みたいなもんだ、と卑下してみたり。
初めに載せた詩は、我が子を亡くした悲しみを読んたものですが、自分の無力観みたいなものが強く感じ取れますね。中也はそのせいか、晩年(と言っても30代半ば)心の病に罹り、千葉寺にある中村病院という精神科に入院していました。実を言うと、僕はその病院の院長先生のことを知っていて、中也のこと聞いたこともあったのです。中也が以前、恐らく先代の医院長の頃、そこに入院していたと文献で読んでいましたから。
でも、院長さんはその話はしたくなかったようです。彼がその後間もなく亡くなってしまいますが、その後、中也の親族から、クレームがあったそうです。なんで精神病院にいたことを公表したのか、と。
なんだかんだいってもこれだけ有名になれば分かってしまうもんなんでしょうね。仕方ないと思います。
中也にとって息子文也の死はダメ人間である自分の死よりも大きかったはず。その気持ちもまさに今の自分と等しい。幸い自分の子供たちは健在ですが・・・・。
この頃なんでだが、「またこん春と人はいふ」という1行が心の中を去来してます。無駄に生きてる70年。
さて、気分を変えて曲へ。
ボブ・マーリーは、以前掛けたことあったかと思うけどジョニ ワズ ア グッドマン はなかったかと。(バッファローソルジャーだったような)